2009/03/28

やっと帰国(台北)

昨日のドタバタ劇の続きは、朝4時半から始まった。
寝る間際になって、次の日に飛行機に乗れなかった場合には帰国できるのだろうかという心配はあったのだが、なぜか目覚し時計が鳴るまで爆睡してしまったのはなぜだろう。慣れていない部屋なので落ち着かないだろうとおもっていたのだが、そんなことはなく、さっさと慣れてしまった自分が怖い。

5時にはチェックアウトをして空港にダッシュで向かう。国賓飯店をこんな朝早い時間にチェックアウトをしたのは、いままでの台湾渡航の中では全くない。逆にこの時間に外から帰ってきたことはある。チェックアウトのときにはホテルの人も1人しかおらず、ドアマンもいないに等しかった。しかし、この時間にチェックアウトをするような奇特なひとは居るようで、それも日本人が3人もいた。もしかしたら、前日帰らなかった人たちなのかもしれない。

空港行きのバスも4時半頃から動いているので、ホテル前に停まるバスを待っていても良いのだが、早く行って飛行機の確保だけはしたいとおもい、早速その辺にとまっていたタクシーに飛び乗る。タクシーは一路桃園空港へ猛ダッシュで進むのだが、それもそのはず、この時間で移動した場合、ほとんど車が居ないので高速道路も朝の渋滞なんか無く、スムーズに空港まで到着した。チェックアウトに時間がかかったぶん、タクシーのダッシュで帳消しされて、6時前には到着した。しかし、だいたい空港までは1300元くらいだと相場は決まっているのに、タクシーの料金は1000元もしなかった。いつも思うのだが、台北のタクシーの料金は、空港から市内に行く場合と、市内から空港へ向かう場合では値段が異なるのだろうか!?

急いでチェックインカウンターに行ってみると、カウンターには誰も居らず、もちろんチケット発券カウンターも電気が消えて真っ暗だった。そこでポカーンと口を開けて待っているのも嫌なので、チェックインカウンターの先頭を陣取って、カウンターが開くのを待つ。空港にはそれでも自分より早く来ている人たちは結構思ったよりはいたのだが、その人たちは、空港内の椅子に座って大人しくカウンターが開くのを待っていたようである。自分が先頭に立って待っていると、徐々に人がチェックインカウンターの列に並ぶようになってきて、カウンターが開くころには、大きなトランクケースを持っているひとたちがたくさん並び始めた。みんな朝一番の8時半発の飛行機に乗ろうとしているのだろう。

カウンタ―に、荷物運搬の男の人がまずやってきて、そのあとカウンターのチェックイン手続きをする女性が登場。いよいよかーと待ちに待った予約変更手続きが可能かどうかの確認とできるんだったらそのまま乗っちゃえという気持ちが持って、出番を待ったのだが、カウンターの女性は「予約はありますか?」と聞いてきた。もちろん「無い」と答えると、どこかに電話してなにか話し始めた。8時半発の飛行機は満席のようで、別の飛行機の予約ならできるかもしれないので、チケットカウンターに行って手続きをするようにとあっさり言われる。

そう言われちゃ、こんなところにいてもしかたがないので、さっさとチケット発券カウンターに移動。当然のことながら、チケット発券カウンターは電気が消えており、サービス開始をするような様子が微塵も無い。「ご用のあるかたはこのボタンを押してください」というのがあったので、それを嫌がらせのように連打する。中から、帰宅直後の水商売の人みたいな態度で女性が登場。カウンターに係員が出てきたのを見てからなのか、さっきまで誰もいなかったのに、自分の後ろにはすでに50人くらいの列が出来ていた。

「10時の飛行機が欠航したので便を変えたい」と主張すると、東京行きは本日は全て満席であると言われ、キャンセル待ちができるので、それにしますか?といわれた。そうか、キャンセル待ちというのがあるのか・・・。今までに考えたことが無かったので、じゃ、それをお願いしますと頼む。ふと壁のほうの掲示板を見ると、大阪行きの午後と名古屋行きの飛行機に空席の表示があるので、ついでに聞いてみた「大阪行きの午後の飛行機の予約は今からでもできますか?」と。しかし、そのあと余計な質問をしたことによってこのチャンスを逃してしまった。というのも、「もし、大阪行きの飛行機に予約変更した場合、ここで大阪から東京行きの飛行機も予約ができますか?」という複雑な質問をしてしまったからである。カウンターの女性は「言っていることが良く分からないな」という顔をされてしまった。そこへ助け舟を出してくれたのが、日本人の台湾旅行をサポートする現地旅行代理店の台湾人の登場だ。この人が、中国語でカウンターの人にこちらの主張を翻訳してくれる。結果としては「ここでは日本国内の予約は出来ないので、大阪の空港についたら別に予約する必要がある」と言われた。大阪から東京への航空便はかなり本数が多いので、例え乗れなくても新幹線で帰ってくればいいかと考えれば、なんとか日本にいけるほうが先決だとおもう。じゃ、仕方ないので「大阪行きの飛行機も予約しつつ、東京行きのキャンセル待ちもできますか?」という、これまた余計な質問をしてしまった。それはOKなので、早速大阪行きを予約して貰おうと思っていたところ、後ろから台湾人の年配の叔父さんが割り込んできて、「朝一番のエバー航空に振替をしたいから、急いで振替処理をしてくれ」と言ってきた。おいおい、うしろから割り込みはないだろうーとおもいつつも、その叔父さんは切羽詰ったような言い方だったので本当に急ぎだったのだろう。だけど、こちらとしては後ろで並んでいたのになんでそのおっさんのほうが先に処理されるのだと腹立たしい。そんなもの、後ろで寝ている別の係員がやればいいだろうとも思った。こちらのパスポートと予約票をカウンターに持っておきながら、こちらは何もできずにイライラしていたところ、別の係員がやってきて、それまで大阪行きの空席有りの看板を、いきなり「空席」にした。

こらー!JALのカウンターのババア!おまえがとろとろしている間に、団体の旅行者が東京行きから大阪行きに予約振替処理をしてしまったじゃないか!これで、今日中に日本に帰れなかったら、絶対ぶっ殺してやる。

そう思いながら、東京行きの8時半発の飛行機と、大阪行きの朝一番の飛行機8時50分発の飛行機に、どちらもキャンセル待ちの一番上のリストに名前を載せてもらった。そのあと、同じようなキャンセル待ちのリストにたくさん名前が書かれたようで、最終的には8時半発の飛行機には40人くらいの名前が記載されていたようである。それがわかったのは、キャンセル待ち発表時にリスト票が見えてわかったのだ。

隣のカウンターは中華航空だったのだが、そこは意外にもキャンセル待ちの人が全く居なかった。ついでだからと思って、中華航空のカウンターでも東京行きの飛行機に空きがあるのか確認をしてもらったところ、やはり満席とのこと。中華航空のほうが朝一番の飛行機が9時35分だったので遅い。だから、JALのキャンセル待ちの後に中華航空のキャンセル待ちを待っても大丈夫と判断し、中華航空の東京行きもキャンセル待ちのリストに載せてもらった。

キャセイパシフィック航空は昼に出発する便で、前日でも間違いなく飛んでいたのを知っていたので、その飛行機への予約変更も可能かどうかも確認したかったのだが、キャセイパシフィック航空が離陸するのは、自分がいまいる第2ターミナルではなく、もう1つのターミナルである第1のほうなので、そこに移動するだけでも時間がかかる。しかし、予約だけはしておきたかったのだが、それは諦めて、もうJALと中華航空にかけることにした。なぜ、ここでANAとエバーにも予約を入れなかったのかが分からない。

JALのキャンセル待ちアナウンスが行われるのは、JALのチェックインカウンターで7時40分からと言われた。ちなみに大阪行きは8時10分とのこと。中華航空は8時15分だったので、すべてのキャンセル待ちアナウンスをいちおう聞くことができる時間はある。ただ、このキャンセル待ちアナウンスが行われる時間がとても長く感じた。もうヤル手段がなくどうしようもないときの手持ち無沙汰は時間の流れがとても遅く感じられ、そして不安感だけが満ちる。最初はもしかしたら早めにアナウンスするだろうとおもって、キャンセル待ち発表場所の傍に陣取っていたのだが、全然そんな雰囲気にならず、台湾人観光客がたくさん周りを囲ったので嫌になって、窓側の椅子に移動する。

そうしたところ、さっきJALの発券カウンターで助けてくれた台湾人ツアコンの人を発見。いちおう先ほどのお礼をしたところ、その人も自分のお客さんを東京に帰すためにいま苦労しているとのこと。いちおう大阪行きに振替予約を昨日の段階で入れていたので、日本への帰国は問題なくできるのだが、東京からのお客さんなのでやっぱり東京へ帰したいということらしい。流暢な日本語で喋るその女性は、台湾で台湾JTBの次に大きな旅行会社である東南旅行社の現地添乗員だった。その人が「私も経験があるのですが、意外と団体旅行じゃなく、個人で旅行されているほうが、キャンセル待ちで大丈夫な場合が多いんですよ。あっ、でも100%じゃないです」とのこと。団体旅行の場合は、団体客全員をまとめて処理するために、カップルの客も含めてなかなか席を確保することが難しいらしい。さらに自分は今回リストの1番上にリスト化されているので、ほとんど大丈夫だろうという安心材料を出してくれた。それでも、こちらとしては、1つも予約確保が出来ているわけではないので不安感は拭いきれない。

7時30分頃になると、チェックインカウンターの辺りが騒がしくなってきた。カウンター内には、8時半の飛行機にチェックインする普通の客がまだいるのかどうかを確認している係員が走り回っていた。そこへ先ほど記載したキャンセル待ちリストがやってくる。そこへ日本人のサラリーマン辺りの人がいきなりカウンターにやってきて、「昨日電話で台北のJALの事務所に電話したら、8時半の飛行機は予約が取れて、直接ここにきたらよいといわれた」という本当かどうか分からないようなことを言い出した。カウンター内の係員は「そんな話は知らない(きっぱり)」と断言する。リーマンはここで激怒。「なんだよー、全然話が伝わっていないじゃないか!もう二度とJALなんて乗らねぇ」と騒ぎ出す。あぁ、サラリーマン生活で何度となく分かっていただろうに、口約束ではなく何故FAXでも良いから紙に書いてもらわなかったのか?と問いただしたくなるが、こういうリーマンもいまや自分の席を取ろうとするライバルなので、横目で見ながら心で「馬鹿」と思いつつ無視する。

7時40分頃になって、自分の名前が呼ばれる。よかったー!やっぱり乗れるんだ!パスポートとそれまでのeチケットを渡す。またしても邪魔者が闖入する。今度は白人だ。ヒッピー風の白人が横から入ってきて、「急いでいるんだ」と係員に叫んでいる。JALのカウンターの係員もなぜかそこで応対してしまい、さっさとキャンセル待ちのOKを解除してほしいのに処理をしてくれない。人が良いと言ってしまえばそれまでだが、どうして横から入ってくる要求に何でも応えようとするのだろう。

カウンターの女性はなにやらコンピュータに打ち込んで、それを別のカウンターの女性に伝えるのと同時に、「こっちに来てください」と誘導する。パスポートをその別の女性に渡された後は、普通のチェックイン開始である。この時点で既に8時5分。出発は8時半なのに、まだこんなところでチェックインなんかしていていいのだろうか?と思いつつも、処理してくれたんだから有難うと思う。それもなんとビジネスクラスの席でチェックインだ。アップグレードを要求したわけではないのだが、向こうが勝手にやってくれたのだ。これはラッキーである。

チェックイン処理をしてもらったあとは、ダッシュで搭乗口へ走る。ところが出国手続きのところでは、意外に人がたくさん並んでいた。チェックインしたのだから、とりあえず飛行機は出発せずに待ってくれているはずだが、それでもさっさと出国手続きができないもどかしさのため、またしてもイライラする。でも、列は結構待つことなく通過できた。この時点で8時10分。

搭乗ゲートがあるD7番ゲートへは、そこから歩いてもかなりの距離の場所だった。途中にいくつものお土産屋があり、そこでは「おみやげどうですかー?」と日本語で誘っている店員が騒いでいる。はっ、そういえば、1日余計に会社を休んだので、いつもは買わない会社へのお土産をとりあえず形だけでも買っておこうと、ここで思い出す。選ぶ時間もないので、定番のパイナップルケーキを買うのだが、以前同じ空港で買ったパイナップルケーキがあまりにも不味くて、自分ではもう二度と食べたくないと思ったことがある。今回はそうは言っても、他にお土産がないので、ここは本当に「形だけ」でも買っておきたかったので、会社のメンバ分のパイナップルケーキを買う。選択1分。会計処理2分だ。この時点で時計は8時20分だった。

搭乗ゲートに到着したのは出発5分前。それでもギリギリに乗り込もうとする客はやっぱりいるらしく、他にもこれから乗り込もうとする客は何人かいた。本当なら急がなくてはいけないのに、JALのマイレージの登録を忘れたと、ここでどうでもいいようなことを思い出し、ゲートのおばさんに「マイル登録してください」とお願いする。おばさん、やり方を知らなかったみたいで、隣にいた別の女性にバトンタッチして処理完了。

いちおう何とか乗り込むことができ、あとは出発を待つだけ。

結局自分のほかに何人の客がキャンセル待ちとしてOKだったのかは分からない。早めに空港にやってきて、カウンターを先頭に陣取って処理してもらったのがよかったのだろうとおもう。機内の椅子に座った途端に、ビジネスクラスに座っているので本当なら嬉しいはずなのに、そんな嬉しさより、眠さのほうが勝ってしまって、ご飯の時間まで爆睡してしまった。

とにかく、この2日間の出来事のほうが酷すぎたために、台湾滞在中に何をしていたのか猛すっかり忘れてしまった。今回は酷い台湾旅行だった。

2009/03/25

MRT木柵線(台北)


中山国中駅を利用してホテルへ行く際に、よくMRT木柵線を使ったのだが、この木柵線は、他のMRTとは違い地下鉄ではなく、高架線になっているため、これこそ「MRT」というべきところだろう。高架線からの眺めはちょっと他では見られない風景を楽しめことができる。

今回木柵線に乗って気付いたことがある。この路線も他の路線と同じようなつくりで、単に高架線になっているだけかとおもっていたのだが、実は札幌の地下鉄と同じように車輪はタイヤで運行している。なんとなく乗り心地が変だな―と思っていたところ、線路がないのだ。線路らしいものはタイヤが通る場所があるだけでなにもない。長い連結されたバスが走っていると思えばいいのと同じで、信号に左右されずにバスが走っているようなものだ。

その木柵線は、現在も延長建設中で、台北市内に有る松山空港にも直結するし、最近大きなショッピングセンタになっている内湖にもそのうち直結する。最終的には、ぐるーっと廻って、いまの藍線の南港まで繋がるというから、北のほうに行く場合には便利になるのは間違いない。

台北国賓飯店(台湾)

いつも台北に行くと使っている国賓飯店は、中山北路の便利な場所にある。MRT淡水線の雙連駅からも歩いて5分以内だし、目の前から空港バスが出ているので便利この上ない。

最近国賓飯店は内装を改装したたという話を聞いていたので、どのように変わったのかなと期待したところ、部屋の雰囲気がだいぶ変わったのには驚いた。

以前は太陽色を基調とした部屋のライトと雰囲気があったのだが、新しくなった部屋は部屋全体が白を基調とした雰囲気に変更されていた。泊まった部屋のタイプが異なるというのもあるのだが、全体的には同じように作り変えているみたいだ。だが、ネットを使うのに、1日400元が必要であるという点は全然変わらない。これなら老爺飯店にしておけばよかったかもしれない。

台北国賓飯店
http://www.ambassadorhotel.com.tw/TP/ambassador_taipei.htm?LC=JP
TEL:台北(886) 2-2551-1111

国内からの予約では下記から
東京事務所:
TEL:03-3511-6415
FAX:03-3511-6416
E-メール:ambhtyo@chive.ocn.ne.jp

FEDEX貨物機爆発のため帰国できず(台湾)

帰国予定日だった3月23日は、久々の最悪日だった。朝10時に出発する飛行機に乗るために、7時ごろホテルを出て、7時45分頃には空港に到着。ここまで本当にスムーズに行ったのだが、問題はここから発生した。JALのチェックインカウンターに行ってみたところ、「成田空港で貨物機事故のため搭乗手続きは一時中止」と書いてある。は?!なに?それもこれからチェックインしようとしていた飛行機「のみ」だ。どういうことだろう。空港係員に聞いても、「詳しい情報が入らないから、これ以上はわからない」とのこと。

いちおう家には連絡して「飛行機が遅れるか、もしかしたら飛ばないかも」という電話をしたところ、「そういえば、今朝成田で貨物機が爆発炎上して、いま空港が凄いことになっているって、ニュースで言ってた」と電話向こうから言ってきた。爆発炎上!?それじゃ、空港使えないジャン。どの程度の爆発なのか、どこで爆発したのかによって、運行再開の時間がわかってくるのだろうが、そんなのは全然分からない。

日本に居る友達にメールをしてみると、広州からのフェデックス機が着陸失敗で滑走路のど真ん中で爆発炎上しているという連絡が入った。あぁ・・・最悪だ。これじゃしばらく出発は無理だと感じる。
しばらくしたところ、カウンター付近が騒がしくなってきた。どうやら空港職員が何かしらの説明をしている。でも、全部中国語。日本語か英語の説明してくれー。噛み付いている乗客のほとんどが台湾人ばかりだったので、職員の説明も中国語のみになっていたのだと考える。そのときの日本人のほとんどは、どうしたらいいのか?とオロオロしているだけだった。それでも中国語がわかるおっちゃんが傍に立っていたのだが、その人が「今日は飛ばないかもしれないと言っている」と翻訳。多くの日本人は旅行代理店のツアーに参加しているために、現地ツアコンの人がなんとか対処してくれるだろういうことから、何も心配していないのだろうが、こちらは、そんな代理店を使っているわけでもなく、個人手配で台湾に来ているのでどうしよもない。状況を判断して、どういう策に出ればいいのかというのを決定しようかと思ったのだが、その判断材料が全く無いので困ったものである。そのうち、空港係員が「飛ぶのかどうかわかりませんが、別の路線を使って帰国の準備をされたほうが良いです」と説明をし始める。でも、だいたい航空券の振替ができるのかもわからないのだが、緊急処置なのでできるとのこと。ただし、チェックインカウンターでは処理ができないので、チケット発券カウンターに行ってくれと言われる。

チケット発券カウンターというのは見たことがあるが、あんなものほとんど自分には関係ないものだと思っていたのだが、生まれて初めて使ってみた。既に10人くらいの客が並んでいて、チケットの変更の手続きをしているが、カウンターに立っている係員がなんとこんな混乱時にも関わらず最初は1人しかおらず、徐々に人が並び始めてきてはじめて、スタッフが3人に増えた。なんとのんびりしているやつらなんだ。それに、チケット変更をしようとしているのは、個人旅行者だけでなく、ツアコンの人も並んでいたし、変更願いをしているひとたちもどういう変更をしているのか分からないが、1件あたりの処理がめちゃくちゃ長い。一体いつになったら自分の番になるのかわからない。もちろん、途中から「急いでいるから」と横入りしてくる台湾人も居るが、他に待っている客がそれを許さない。「じゃかましいー。後ろに並べ!」と首根っこ掴んでカウンターから離す。うーむ・・・殺気立っている状況では全員が敵だということがこの時知る。

いつまで経っても自分の番がこないので、航空券の手配をした日本の旅行代理店にも電話してみる。いつも世話になっているところなので、なんとかなるかなと電話してみたのだが、相手の旅行代理店も大量の電話がかかってきていたようなので、その対処でおおわらわだったらしい。そこをなんとか強引に「旅行代理店経由で確保ってできますか?」と問合せをしてみる。予約だけ入れられたら、なんとか台北で処理ができるかもしれないというかすかな期待だけを持っていたのだが、旅行代理店からみると、予約だけされても自分達に金が入らなかったら何の意味も無いので、本来なら手配なんかしてくれないのだと思うが、実際にはどうなのだろうか。手配ができたら折り返し電話するという連絡を待ちつつ、発券カウンターのところで待ってみる。

発券カウンターで待っている間に、後発の大阪行き、名古屋行きの飛行機が満席という掲示板が出る。こうなったらもう帰るのが無理だと判断。明日の飛行機でも良いから予約が取れればそれでいいと感じる。何時の飛行機を手配すればいいかということは、実はこの時あまり考えていなくて、あとからのメールで「大型機が発着する滑走路は閉鎖されているが、小型機は成田には運行継続している」という連絡をうけて、自分が乗る飛行機のすぐあと13時発の飛行機であれば成田には帰れることを知る。そして、同じ滑走路は明日になっても使用できるかどうかは定かではないということも後で知るのだが、カウンターで待っているときには、帰れる便の予約があれば何でも良いという思いしかなかったので、まずは翌日の飛行機の便を予約変更することにした。予約変更で選ばれたのは同じ時刻の飛行機。これがのちのちまた事件を引き起こす。

カウンターのおねえちゃんは、予約は確保しましたが、出発できるかどうかは常に情報を追ってくださいと忠告された。あと台北で連絡が出来る番号を教えてほしいというので、自分の携帯番号を教えたのだが、欠航が発覚した場合にはこの電話番号に連絡するとのこと。そんな電話は欲しくないのだが、もし欠航になった場合にはまた走り回らなくてはいけないのでいちおう連絡は欲しい。

1つ前に並んでいた個人できていた人も、会社には内緒で台湾に来ていたらしく、上司の人に「帰国できなくなりました」と報告をしていた。もちろん自分も同じように連絡する。翌朝10時の飛行機の予約が取れたところで、再度日本の旅行代理店に電話連絡して、「台北で変更ができた」と改めて連絡しておく。向こうでも手配してくれていたと思うので、申し訳なかったが、時間の勝負だと思っていたので、バックアップとして旅行代理店を使っていたのは正解だと思う。

さて、翌朝の航空券の予約ができたのではあるが、いちおうチェックインカウンターのほうにもう一度行ってみて、本当に飛ばないのかどうか聞いて見る。答えは同じで「わからない」「欠航だと思う」と曖昧なことしかいわない。しかし、電光掲示板のほうにはまだ「欠航」という表示が無く「遅延」の文字しか出ていない。もう10時過ぎているのにいまだに決断ができないのか、このとき不安だなと思う気持ちがあとで的中するのだ。

もう翌日の飛行機で帰る事を決心したあとは、今晩の宿の確保である。どこの宿にするのかは全くノーアイディアで、このときに台北老爺飯店にすれば、同じJAL系列でなんとか色々サービスがついただろうと思うが、飛行機の変更が生じても、今回の場合JALが悪いわけじゃないのでホテル代を補完してくれるわけじゃなく、適当な場所で安いところにしたいというだけの思いしかなかったが、どこのホテルが良いかなんて言うのは全く頭に無い。頭に浮かんだのがいつも使っている国賓飯店。日本の予約センタしか電話番号を知らなかったので、そちらに電話してみると、事情を分かっていたらしく特別価格の70%オフの3500元でOKだといわれたので、それを選ぶ。

あとは、手持ち現金が少ないので、空港バスで移動する。いつも国賓飯店にいくばあいには、大有巴士で移動するところ、なぜかバスカウンターを見つけられず、国光巴士で移動した。値段は135元。タクシーよりずっと安い。

ホテルへチェックインしたあと、さっそくテレビをつけてみたところ、ちょうど成田での貨物機爆発の映像が出ていた。その映像を見て「こりゃ、明日もだめかも」と一瞬思ってしまった。あまりにも爆発が酷すぎて、滑走路の外でもえているのはいいのだが、燃えている付近に消化関係者がたくさんいるため、まず滑走路を使えない。やっぱり明日の便にして正解だったかーとおもいつつ、いちおうJALのサイトにもアクセスしてみて、欠航便がどうなるのか確認してみる。ところがどっこい、自分が乗ろうとした飛行機が、名古屋行きに目的地を変更して17時35分に出発予定と書いているではないか。欠航じゃない!?なんじゃ、それ!?一体、この飛行機に何人が乗ろうとしているのだろうか?しかし、名古屋到着予定が20時なので、がんばれば東京にその日に戻ってこれるかもしれない。しかし、入国手続きやらで手間取った場合には、名古屋に宿泊しなくてはいけなくなる。台北で足止めされるより、日本国内で足止めされるほうが、その後の移動の選択がたくさんあるのでまだマシだ。

もう宿に居るし、明日の飛行機の予約手続きは出来ているし、ぐちゃぐちゃ考えないで、延泊の台北でのんびりしようと思ったのだが、なんとなくのんびりしたい気分にならない。夜に友達とご飯を食べていた20時半頃に、知らない番号から電話が掛かってきた。なんだろうと思って電話に出てみると、テープに吹き込まれた中国語のアナウンスが流れていた。このアナウンスがなんじゃこれ?とおもって、そのまま切ってしまったのだが、このときに何とアナウンスされていたのか、現地の台湾人に電話を変わっておけば事態がどうなっていたのかをもっと早く知っていたことだろう。あとでホテルに戻ってもう一度JALのサイトにアクセスしてみたところ、翌日乗ろうとしていた飛行機がなんと早々にも欠航と表示されているではないか。おいおい、また延泊か?と思いつつも、また延泊になるのは嫌だとおもったので、なんとかして帰国しようと考える。日本のJAL本社や旅行代理店および台北の現地JAL支社にも電話をかけたのだが、どこも全部営業時間外なので対応してくれない。

もうこうなったら手段が無いので、翌朝、第一番の飛行機が8時半に出発するので、それに合わせてチェックインカウンターに走り、そこで振替ができるかどうかを、直談判するしかないと考える。カウンターに6時には到着すれば良いと思うことを逆算すると、4時半には起床して5時にはホテルを出ればいいと算出する。今日も眠かったが、明日も朝から走り回るとなると眠いだろう。もう方法がないので、明日に賭けてみることにして、その日は寝た。

それにしても、フェデックス、横風が酷くて普通では降りれないような状況だったら、別の空港に降りれよ、馬鹿ー。

続きは別のコラムで。

淡水(台北)


淡水は、台北からMRT紅線で30分くらいで到着する台北郊外の人気スポットである。特に週末の淡水は、夜の士林夜市と同じくらい人がわんさかやってきて、のんびり過ごしたりしているひとでごった返す。その中でも夕方の淡水での風景は、都会の喧騒を忘れてぼーっとできるところでも有名であり、この夕暮れ時間が一番人気である。

もともと淡水は、台北近郊では最大の港町として栄えてきたところで、台湾中部の鹿港、や台南と並んで台湾の入り口として発達してきた。台北川を伝って内陸部に台北城が作られて、基隆に大きな港ができてしまってからは、淡水の役割が減ったのだろう。それでも、いまでも淡水は、昔からの港である雰囲気は残しており、大きな船こそ停まっていないが、小規模な漁業が行われるための船が停泊しているのを見ることができる。

海岸沿いには、ずらーっと食べ物・遊戯の屋台が並んでおり、たまに台北市の許可を得た「路上芸人」が歌や演奏を披露しているのも見られる。東京では、金が無く、スタジオを借りることができない自称ミュージシャンが路上ライブを行っていたりするが、台北では一切無い。それは路上演奏が許可制だからで、ゲリラライブをしたら即逮捕だからだ。こういうところは台北のほうが治安が良いと思う。路上で、へたくそな演奏をうるさくされるのはたまらない。

食べもの屋で目立つのは、海が近いからなのだろう、海産物の屋台がたくさんある。烏賊焼の店は、あの匂いに釣られて衝動買いする魅力がある。驚いたことに、「シラス」を売っているところをみた。台湾人もシラスを食べるんだろうか?食べるとしたらどのように食べるんだろう。

忠烈祠(台北)

台湾ではいつも世話になっているお茶屋でお茶を買った後、何を急に思ったのか、忠烈祠に久しぶりに行ってみようとおもった。台湾には大きな街なら必ず忠烈祠があるが、台北にある忠烈祠は、そのなかでも群を抜いて大きい。国のために戦って死んだ人を祀っていると言う意味では靖国神社と同じである。

中山北路からだと、路線バス247系統に乗っていけば目の前まで行くことができる。そういえば、最近の台北市内を走るバスは、「次は※※~」とアナウンスと車内表示がされるようになった。今までは自分が降りるバス停が何個先かとか、窓から見える通りや建物の様子を気にしながらバスに乗っておかなければならなかったが、あまり気にしなくてもよくなったのは嬉しい。ただし、全部のバスが適用されているわけではなく、経験上は80%くらいが対応されているといっていいだろうとおもう。

忠烈祠は毎時衛兵交代式が行われており、こんなのを見るのは観光客だけだろうとおもっていたら、意外と地元台湾人にとってもまだまだ人気がある。自分の知り合いが衛兵になったら、その家族と親戚は大喜びするといわれているくらい、台北忠烈祠の衛兵に選ばれることは、まだ兵役義務がある台湾ではかなり名誉なことである。誰でもなれるわけではなく、優秀で背が高く、見栄えが良い人間じゃないとなれない。細かい専攻基準はもっと調査してから別途書きたいと思う。微動だにせず、約1時間も同じ姿勢でびしっと立っている姿を見れば、誰しも良く頑張っていると感動するだろう。当の本人達も、すぐ「疲れた」というようなことを言う人間ではまず無理だ。台北忠烈祠では、2組の衛兵が常に立っている。1組は、入り口付近に立っており、もう1組は、奥にある本殿のまえに立っている。両方の間は、長い広場があり、その行き来をする際に、観光客がカメラ片手に、芸能人の追っかけのようについていく姿が見られる。もちろん、行進の邪魔をすることはご法度だし、任務についている衛兵ではない人が、観光客の誘導や注意を行っている。今回の忠烈祠の訪問で1つ分かったことがある。陸にあるために、てっきり忠烈祠にいる衛兵は陸軍に任務しているひとが行っているものとばかり勝手に思っていた。ところが衛兵達をよくみると、制服が違うのである。陸・海・空軍のそれぞれの兵士が任務についているのだ。そして、お立ち台に登る衛兵も、陸・海・空軍が順番に立つようで、先ほど述べた交代式の際に通る広い広場のところでの更新時には、3軍隊の制服をきた兵士が2人ずつ6人の列として歩いてくるので、一種のファッションショーのような感じだ。今までは同じ制服だとばかり思っていたのに、今まで何を見ていたんだろうと思う。ちなみに台北の忠烈祠の隣には中華民国海軍本部が存在し、建物及び敷地内の管理はこの海軍が管理しているとのこと。海軍だから海の傍に本部があると勝手に思っていた自分も馬鹿だとおもうが、その他の忠烈祠も各軍隊が管理しているのだろう。台湾人の知り合いで忠烈祠の衛兵を行っていた人をまだ知らないが、そのうち探し出してみたいと思う。

忠烈祠の本殿には、古くは清朝を滅亡しようとして戦った広州蜂起から始まり、抗日戦争や国共内戦まで、中国近代史では一番面白い時代で戦っていたひとたちを祀っているので、国民党の目線で見た場合、国民党のために死んでいったひとたちがたくさん祀っている。台湾に中華民国がやってきたあとに死んだ人間はほとんど祀られていない。台湾の中華民国への返還後に初代台湾行政長官になった陳儀なんかはいるわけがない。

青木由香

ホテルで何気にJETという日本語の放送ばかりを放映しているチャネルを見ていたところ、台湾で活躍(?)している青木由香という人が、友達の「QBさん」と呼ばれる台湾初心者の人に食べるところを中心とした場所へ連れて行くという番組を発見した。その名も「青木由香の台湾一人観光局」。本人のウェブサイトもあるので、そこでどういうところを紹介しているのかは見ることが可能だ。

たまたま観た箇所で感想を書くとすると・・・

まず観たのは台湾最大の夜市である士林夜市での食べ物を紹介していた。これだけなら普通の旅番組という感じで別に何も思わなかったのだが、紹介の仕方が、観れば観るほどだんだん腹が立ってくるような内容だった。

まず、同行していたQBさんに「台湾には変な食べ物がたくさんあるから」と紹介するところはいい。確かに台湾にはへんてこりんな食べ物がたくさんあるから、それを見たことも無い日本人に紹介することはよくありがちだ。しかし、揚げ物屋の店に行った際に、せっかくカリっと焼きあがった肉類を、意味不明に叩き割って、それを食べるという店では「私は肉類が食べられないので、これって前から気になっていたんだけど、試してみてどうだった?」なんていうような紹介の仕方で始まった。食べたこと無いんだったら紹介するなよー。

台湾の街角ではよくみかける「産毛とり」の店での紹介では、店の人にいろいろと話を聞いているのもよくありがちな紹介番組で、それはいいのだが、聞き方がいわゆる「上から目線」のため、商売をやっている人を馬鹿にしているのか、それともその商売に金を払っている人間を馬鹿にしているのかと取れてもおかしくないような質問の仕方と、応対のしかたが、商売人からみると腹が立って仕方なかった。

顔がブサイクのくせに、声が濁声で、おまけに台湾人のように声がでかくて、そのうえ上から目線で話をするなんていうのは、お前は一体何者なんだ?とテレビに本当に突っ込みを入れたくなった。

いろいろと台湾の店の紹介してくれたお礼という意味で、QBさんの知り合いのひとが営業をしている「広島お好み焼き」の店での会話は、もっと腹が立った。店のオーナーは広島出身の日本人で、広島のお好み焼きを広めるのために台湾にやって来たというひと。それだけ広島のお好み焼きにたいして自信と宣伝マンの意味で台湾に乗り込んできたというものだ。広島のお好み焼きというのは、日本人にとっては特別の存在ではない。その店での食べ方がまた不味そうに喰っている。とても食べ物番組に出してはいけないような食い方だ。お里が知れるというのはこういうことかと納得してしまった。そして、飲兵衛なのは良いのだが、お好み焼きを褒めちぎるというのではなく、「私もこれくらい作れる」と挑戦的な態度を店のオーナーに見せるところが「こいつはあほか?」と思った。

最後に「プリン対決」と称して、お好み焼き店主と青木由香が、どちらが美味いかというプリンを互いに作ったものなのだが、自画自賛もいいところだが、「あたしのプリンのほうが絶対おいしい!でしょ?でしょー?」とお前は何しにここに来たんだ?といわんばかりの態度だ。ちょっとはこの店のことを褒めちぎれよ、馬鹿っとおもう。

こんな馬鹿日本人ブサイク女が紹介している台湾の食べ物・店の様子を、現地の台湾人はどのような感覚で見ているのだろか?まさかあの番組が日本人相手に放送しているとは思えない。日本人の女性が全員あんな下品でわがままでブサイクなやつだとおもわれることほど、心外なものは無い。しかし、実際にメディアに出ているのはあのブサイク女だとおもうと、日本人として恥ずかしい。

青木由香よ、正直、もっと清楚で魅力的な番組つくりをこころがけてみてはどうなのか?きっと台湾人から見ると、青木由香のことを、奇特なエレファントマンと同じような感覚で観ていることと思う。食べて喋るゴリラと一緒だと。

青木由香の台湾一人旅
http://www.aokiyuka.com/

台北馥敦飯店-復北館

渡航寸前になってホテルの予約をしようと思ってもなかなか良いところは取れないのは分かっている。ネット経由で予約ができるところは結構たくさんあるのであるが、以前台湾のホテルサイトに直接予約した際に、自分が予約した内容が全く反映されていないという事実があったため、それ以来、台湾のサイトを使って予約しようと思わなくなった。たぶん、実際には台湾のサイトから予約したほうが、結構予約確保が出来るホテルの数もたくさんあっただろうと思うが、台湾のホテルを予約する際には日本に居る間に日本のサイトを利用してとることにしている。

今回予約をしたのは、MRT木柵線の北の最終駅である「中山國中」駅の傍にある「台北馥敦飯店-復北館」にした。駅から近いということと、どこかに行く場合にも比較的便利であること、そして今まで泊まったことが無いということと、もちろん値段がちょっと安かったということが選択の判断だったとおもう。松山空港から国内線に乗って台湾のどこかに行く場合には、空港にもとても近いので、ここを使うことをお勧めする。

他にも日本人観光客がいたことだとは思うし、到着時間を事前に伝えていたこともあるのだが、到着した途端に「お疲れ様でした。※※様」とパスポートでの名前を確認する前に言われたことは、日本のホテルでもあまり見かけることが無いサービスであったので、とても吃驚した。これだけでも好感度がかなり高くなる。もちろん、出かけたあとに預けていた鍵を貰う際には、チェックイン時に対応してくれたホテルスタッフであれば顔を覚えているため、自分の部屋番号を言わずとも鍵を渡してくれるサービスに徹しているので、これもなかなか対応が難しいと思われるのにそつなくこなしているところに好感度アップ。聞いたところ、チェックインの際には1人で対応するのではなく、客の顔を覚えるために必ず2人以上で対応をするのだそうだ。ホテル経営者の方針なのか、それとも自主的にホテルマンの行動対応なのかよくわからないが、いままでの台湾でのホテルでは見られるものではない。もちろん、ホテル自体がそんなに大きいわけではないというのもあるのだろう。

部屋はスタンダード部屋ではあるのだが、ベッドがとても大きく、部屋も余裕があるほどの広さだったのは驚きだ。滞在に必要なアメニティは全部揃っているし、部屋の中にはポットもサービスの無料のミネラルウォーターもある。部屋からはネットに無料で接続できることも魅力だ。浴室は、浴槽とシャワーが別になっているためにこれは使いやすい。シャワーが別になっていると、お湯をいちいち浴槽から抜かなくてもいいからである。
部屋にはケーブルテレビが通じており、台湾独特の100チャンネル以上のテレビが見られるので、部屋で1日ボカーンとテレビを見ていても全然飽きないと思うが、何を観ていいのかは本当に分からなくなる。好きなジャンルのチャンネルが常に放映されているので、適当にチャンネルを廻して気に入ったところで観るのがいいのだろう。ちなみに、DVDプレイヤーもついているので、台湾でDVDやCDを買って、買った内容を部屋の中で見るということも可能だ。毎回行っていることだが、今回も台湾で音楽CDを大量に買い込んで、おまけについているプロモーションDVDもついでにザッピングしてみてみた。

朝食は地下フロアで食べることができ、決して広くは無いし、種類もそんなに多くは無いのだが、典型的なコンチネンタル式の朝食が取ることができる。台湾のホテルにありがちだが、おかずで点心が出てきているのも台湾らしい。だが、ヨーグルト類が無いのが個人的には気に食わなかった。パンも果物も豊富にあるのに、何故だろう。小さいながらも、卵料理だけは注文すればいろいろと料理してくれるので、お気に入りの卵料理があるのでればそれを注文してみるのも良い。強いて文句を言うと、ここのコーヒーは不味い。

9階にサウナ兼スポーツジムがあり、そこは宿泊者であれば誰でも利用することが可能だ。ただし、利用するには性別によって利用できる時間が異なっている。女性であれば夕方から夜にかけて、男性なら夜から深夜にかけて利用が可能である。結局今回はこの施設を利用しなかった。

適当に選んだ宿ではあったのだが、全体的に雰囲気がよく場所もよかったので、お気に入りの国賓飯店もいいのだが、ここも別の候補としておこう。ただ、空港から来る場合には、ちょっと遠いところに空港バスのバス停があるのでそれを利用してもいいのだが、荷物がある場合には不便なので、タクシーで乗りつけることになることが一番いいだろう。


台北馥敦飯店-復北館
URL : http://www.taipeifullerton.com.tw/north/html/jap_north/about_us.htm
住所:台北市復興北路315號
TEL: +886-2-2713-8181
FAX : +886-2-2713-6199

最悪の台湾旅行へ -序章-

半年振りの台湾にどうしてもいきたくなったので、出発3日前になっていきなり渡航を決めた。だいたいこの時期は花粉症に悩まされているので、この期間はどうしても日本を脱出したくなる。別に今回は台湾じゃなくても良かったのだが、短期間しかないし、いきなり予約だったし、滞在できる時間を考えると、やっぱり台湾か香港くらいの距離しか無理だなと勝手に思い込む。たまたま3月の三連休に被せて、1日追加の有休を取れば、そこそこ台北で遊べるかなと思ったので、この期間に取ることにした。

今回の渡航スケジュールは下記のとおり。

行き 2009/3/20 JAL #649 東京 18:30 - 台北 21:30
帰り 2009/3/23 JAL #642 台北 10:00 - 東京 13:55

遅い時間に到着して、早い時間に帰ってくるので、4日間の日程でも正味遊べる時間が2日間しかない。それでも値段が安かったから、それを選択。意外にも中華航空のほうがこの時期は高かったのが不思議だった。

今回の台湾旅行は最初から「何かある」と予感をさせるような出来事がたくさんあった。

何度も海外に行っているのにも関わらず、トランクが小さいので全部手荷物として機内に持ち込もうとしたのはいいのだが、まるで海外初心者のようにトランクにシャンプー類を入れっぱなしにしてしまっていて、手荷物検査の場所で思いっきり引っかかってしまった。恥ずかしながら、いちど戻って荷物をチェックインしたときには一体自分は初心者か?!と思ってしまった。

出発間際の搭乗ゲート付近は、いつもながら搭乗待ちをするひとたちでごった返す。それはいつもと変わらないのだが、今回は待っているときに自分の周りを台湾人に囲まれてしまって、右隣ではどこでゲットしてきたのかたこ焼を食べている人も居るし、左隣は林檎を丸かじりをしているひともいるし、前では台湾人の子がぎゃーぎゃー中国語ではなく台湾語で騒いでいるし、日本に居ながらにして既にそこは台湾だった。

出発の際にも、定刻どおりに出発するのかと思っていたら、なかなか乗らない乗客が1人いて、そのために出発待ち。最終的に、その客が「乗らない」という暴挙を出たみたいで、チェックイン時に預けたトランクを取り出すためという理由で30分も出発が遅れた。そんな乗客はブラックリストに登録して、二度と乗せないということにしたほうがいいとおもう。

しかし、これは単なる今回の旅行の序章に過ぎなかった。帰国時にとんでもないことが起こるなんて言うのは、このときにはなにも分からなかったし、予想も出来なかった。このことは、別途書きたいと思う。