2011/04/13

地震災害と通信網

東日本大震災が起こったときに、みんな無事確認電話をかけようと、一斉に電話網を使うようなことが起こり、一気に網がパンクすることから危険性を察知し、自動的に着信規制を行う処置がとられた。したがって、その規制処置が行われたあと、なかなか電話が繋がらないということが起こったのは記憶に新しい。これは対携帯電話でもそうだし、対固定電話に対しても同じだった。あくまでも規制は「ある特定の地域に対する通話に対しては、着信側をエリア規制する」というような処置を電話会社は行っているため、混雑地域から、全く混雑地域とは関係ない場所へ電話をする際には、周りの影響とは関係なく通話が可能だ。例を挙げると、電話が掛かりにくい状態だった東京から、大阪へ電話することは、何度も通話をトライしなくても一発で繋がるのである。これは大阪側の着信を規制していなかったからというのが理由だ。

そしてもう1つ規制の方法として、同一事業者内の通話を規制するというのがある。事業者が異なる場合には、事業者間接続と呼ばれ、ある程度その通話路は確保しなければならないということがある。だから、同じ携帯会社同士で通話しようと必死にリダイヤルをするよりも、固定電話から携帯電話、または携帯電話から固定電話のほうへかけようとしたほうが掛かりやすいのである。さらにこの延長で言うと、通話ということを考えたときに、固定電話と携帯電話だけが通話というわけじゃない。IP電話というのも1つの電話である。要は050で始まる電話番号である。最近はあまり話題になっていないのだが、プロバイダに加入すると一緒に番号も付与されるサービスもあるのだが、それで使われているのがIP電話。この加入者数は携帯電話や固定電話に比べると断然少ない。ということは、それだけ電話が掛かりやすいということになるのだ。なぜなら、IP電話も1つの事業者として認識されるため、その通話路は確保しなければならないからである。

新潟沖地震の際に、東京から新潟への通話が普通だとぜんぜん繋がらないという状況だったのだが、幸い先に導入した050電話のおかげで、周りの通信状況と関係なく、普通に通話ができたという話を良く聞いた。今回の震災に関しての050の役割はあまり聞こえてこないのだが、やはり状況は新潟地震のときと変わらないのだろうと思う。

携帯同士で電話が繋がらなかったというのは仕方ないとして、意外に繋がったのがメール。タイムリに繋がったというわけではないかもしれないが、結構使えた。メールの送受信時に通話路を確保する時間は各人かなり少ない。よってそれほど輻輳は起こらないのである。ただ、携帯を使った情報取得については、どうだったかは不明だ。たとえば、iMode サイトを経由した電車運行状況のサイトへのアクセスについては、どうだったかはよくわからない。ただ、聞いた話だと、同じように電波回線で通話ができる Skype や Viber のアプリを入れている人たちにとっては、意外に通話が出来たという話を良く聞いた。残念ながら当日 Skype や Viber をインストールした携帯端末を持ち歩いていなかったので、親などに連絡がつく際に、Skype や Viber を使っていたわけじゃないのだが、もし持っていたら使っていたことだろう。

そして震災後「使えない」というレッテルを貼られてしまったのが、ひかり電話である。フレッツ・光の名前で利用されている電話のことである。ひかり電話を利用するには、光ファイバ回線の敷設とそれを使うための回線終端装置が必要になってくる。しかし、回線終端装置はなにしろ一般電源が必ず必要になってくるものである。震災のときには大丈夫だったのだが、震災後に起こった計画停電が実施された場合、回線終端装置にも電気が来なくなるために、その間の通話というのは、発信者から見た場合、通話を着信できる状態になっていることと同じである。それも計画停電の3時間の間使えないというのは結構大きい。ひかり電話自体、前から停電が起こった場合には使えなくなるというのは分かっていたのだが、だいたい停電になるなんていうのは、数十年前の日本だったらありえるけど、まさか停電になることなんてないよねー、はははあーとおもっていたボケ日本人にとっては、「あるわけがない事象」として長年思われていたことだった。しかし、実際に福島第一原発がぶっ壊れたことにより、電気供給量が減ってしまい、停電が輪番で起こることが発生した。そうなると、この前提条件が全く狂ってしまい、結局不要の物体に変わってしまうのだ。

これで一般市民はひかり電話はいざというときに全く役に立たないことが分かってしまった。そこで起こったのは、電話機も含めて電気を使わないものが良いということ。ひかり電話じゃなくても、電話機には、FAX機能を有していたり、留守番電話機能を持っていたりす。そういう機能を使うときには、電源が必要になってくる。ひかり電話じゃないから安心だといっても、受話側の電話機が機能していないのであれば、これもまた使い物にならないからだ。いわゆる黒電話なのだが、これが量販店だったら2000円くらいで売られている。量販店での売れ行きはこれがすごいものだったようで、即完売。どこを探してもないという状況に陥った。うちは幸い、こういう何も機能を持っていない電話機を持っていたので、停電時だけは通常のFAX電話じゃなくて、黒電話にモジュラージャックからの電話線を入れ替えて使っていたから、なんの不自由も無かった。黒電話なんか使わないだろうとずっと押入れに入れていたが、こんなに役立ったとはびっくりで有る。

ひかり回線ではなく、ADSLで十分なのだ。ADSLは銅線で、その線自体が電話局から直接直流電源が供給されている。ひかり電話の場合はその電源供給ができないので、電話線としての意味を成さないのである。しかし、これだけネット社会になっていると、ひかり回線で高速通信に慣れていると、いまさらADSLに戻って通信をするなんていうのに抵抗があるかもしれない。しかし、家でそんなに大容量回線を要することってなにかあるのだろうか?家がダウンロード基地になっているのであればいいが、まずはそんなことはありえない。だから、ADSLで十分なのではないだろうか?

ひかり回線を解約してADSLに切り替えるひとが多くなっているのも事実である。google 検索で「ひかり電話」をキーワードに入れると、文字補完として「解約」と出てくるのが多いのもそのひとつだ。

ひかり電話を推進しようと必死になっているNTT東日本・西日本としては今後の方針をどうするつもりなのだろうか?これだけ逆風になっているのに、それでも必死になって売ろうとするのは無理があるのではないだろうか?まさか、バカの一つ覚えのように、誰も使おうと思わないサービスを必死になって開発をし、それを利用者が使わないのは、利用者のほうがバカだという戦略を今後も貫こうとするのか、よくわからない。

ANAの株主優待券を売る


ANAの株主であるので年2回、国内線が半額になる株主優待券が送られてくる。それは5月末と11月末である。でも、最近国内出張がなくなってしまったので、この優待券を有意義に使うことがまず無くなった。しかし、毎回7枚送られてくる優待券をそのまま無効にするのはもったいない。そこでここ最近は、その優待券を頃合を見て、チケット屋に売りに出すことにしている。

JALのほうも同じような株主優待券を発行していたが、既にJALは昨年の3月に上場廃止をしてしまったので、もう株券もないし、優待券なんかもあるわけが無い。JALがまだ存在していたときには、ANAも競争会社の1つとして君臨していたので、路線の料金競争が激化していたのは当然だし、JALがいなくなったとしても海外の格安会社が乗り入れようとしている現在でも、その競争はぜんぜん収まっていない。

優待券は、JALとANAが君臨していたときにはその買取価格および販売価格についても金権屋での値段はそんなに高くなかったと思うのだが、最近の値段の高騰はすごすぎる。特にJALがいなくなってからの値段は高い。航空券の正規割引である「特割」の価格より、遠方であればあるほど優待券の価値は高くなる。特割の値段が半額以下になることはまず無い。あったとしても、すごいへんてこりんな時間に発着する便にだけ適用したりするし、時期にもよる。だが、優待券は1年中、盆暮れ関係なく使えるし、時間帯も関係ないから、東京からだと、沖縄へ行ったり、北海道へ行ったりする場合にはとても得なチケットであるから、多少高くても優待券を買おうというニーズはあるようなのだ。

11月の冬に発行した分については、第一ピークとしては、年末前にやってくる。しかし、今年の場合にはその時期がおかしかった。今年はなぜか3月末だったようである。その価格がすごい。なぜなら、買い取り価格で9000円だったからである。その買取価格を出していたところで今回は売ったのだが、そこで売ったかは教えない。ただし、大手のチケット屋である。まさか9000円程度になるとは思っていなかった。これまで、チケット売買サイトツイッターの買取価格の情報を見ていて、株価の動向のようにいまの価格をチェックしていたのだが、やっぱり3月11日発生した大震災の影響が一番大きい。これによって、東京を脱出し遠方へ逃げたいという人が多かったためかわからないが、それによって価格が飛躍的に上がっていったのである。結局3月の連休後に売りさばいたのだが、そのときの価格として平均して1枚当たり8000円から8500円くらいをつけていた。しかし、実際に店舗に行ってみると、それよりも高額の9000円になっていたのだから、びっくりしたという理由は分かるだろう。

さらにびっくりしたのは、店舗に行ってみると、いつも優待券が束になってショーケースに置かれているのに、そこの枚数がとても少なく、なおかつ、優待券が置かれている場所に「優待券を売ってください。高額買取します」とまで宣伝されていた。それだけニーズが高かったようである。ちなみに、自分が売りに並んでいるときに、優待券を買おうとしている人がいて、その人に店を通さず売ってやろうかなと思った。ちなみに、売りの価格は9500円。だから、その時点で、9300円くらいで直接購入したい人に売ってしまえば、こちらとしても、店に売ったときより高く売れるし、客としても、店の価格よりも安く変えるからお得だったに違いない。7枚分63000円を売りに出してこの日は終了。

そういえば、5月発行分の優待券はいくらで売ったのだろうか?と考えてみると、こちらは、夏休み前に裁いたのであるが、夏休みとして利用する人が多いため、基本的には冬版よりは高く売れる。店頭販売価格が12000円くらいになっているときがあるが、そこまで高いのにそれでも買う人たちってどういう人なんだろう?と前から気にはなっていた。たぶん沖縄か北海道に行きたいと思っている人たちが買っているんだろうが、半額+12000円まで払っていく場所とは何処なんだろう?と疑問に思う。7月中旬くらいに売ったときの価格は、1枚10500円。結構高い。だから、7枚で73500円である。

22年度はまだ株主総会が行われているわけじゃないが、IR情報としてもう分かっている。証券会社のサイトや四季報を見ればわかることだが、22年度の配当金はたぶん0円だろう。配当無しの株券を持っているほど馬鹿馬鹿しいものは無いのだが、そのかわりにANAの場合には優待券というサブ配当みたいなのがあるので、これはいい。22年度の優待券売却の総額は、136,500円である。結構良いかもしれない。ちょっと前までは配当が出ていたのだが、そのときは1株あたり4円がMAXだった。10000株でも4万円程度しか配当がないわけだから、そう考えると優待券の売却のほうが配当率が良いということになる。

ANAの優待券は航空券が半額になる券のほかに、ANAホテルでの宿泊やレストランの割引券も一緒にあるが、こちらのほうはほとんどかねにならないので、まずは売ることは無い。売っても200円程度なのだろうなとおもう。ただ、たまにチケット屋の店頭をみると、このどうでも良いような割引券でさえ売りに出す人がいるみたいで、ショーケースの中に売っているのを見つけちゃったりするわけである。

デートレーダーではないので、そこまで株式売買に真剣になっているわけじゃないのだが、保有株の動向についてはやっぱり気になるものだ。無料で真剣にやってくれる資産運用協力者がいるんだったらお任せしたいのだが、そんな奇特な人は世の中いないだろう。リスクを背負いたくないと思っている人が多いだろうし、責任を取りたくないと思っている人たちも多いからだ。

ちなみに、ANAの株主優待券だが、これまで5月に発行するものは1年間有効で、冬に発行するものは半年間有効という条件だったが、今度から時期に関係なくどちらも1年間有効の優待券になる。これはとても便利な利用の仕方になるだろう。が、優待券売買市場としては、これまで半年しか使えなかったという冬版の価格が大きく変わってくるかもしれない。

そして4月に入ってすぐに優待券の価格は激安になってきた。4月10日頃の価格としては4500円程度で取引されている。

客家の鉄則 - 人生の成功を約束する「仲」「業」「血」「財」「生」の奥義

漢民族の中のユダヤ人と揶揄されるのが客家の人たち。名前から考えても、常にお客さんみたいなイメージがある客家の人たちこそ、中華系の経済を牛耳っている中心人物たちの集まりである。客家語では、「ハッカ」と言うこの人たちは、世界中に散らばってはいるが、約5000万人は住んでいる。しかし、いちおう漢民族ではある。が、文化、習俗、言語は独自のものをもち、価値観も独自のものを持っているために、何処に言っても、自分たちと違う人たちというレッテルを張られて異質なものとして扱われてきた過去がある。

しかし、中国の偉大なる指導者鄧小平も、台湾の李登輝も、シンガポールのリー・クワン・ユーも客家の人たちである。まだ鄧小平が生きていたときには、「三大中華国家」として客家人が国家と経済の運命を握っていたことになる。また華僑の世界でいうと、華僑は、広東系、福建系、潮州系、海南系と客家系にわけられ、全華僑のうち客家人のしめる割合は8%程度なのに、経済は30%以上にもなる。このように経済的に客家華僑が強いのは、経済活動、福祉、教育、寄付金集めを相互扶助組織を形成してそこで行っているからなのである。客家としての国家を持っていない彼らにとっては、互いに仲間を作って助けあうことが重要と考えている。この団結力の中に入り込むことができたときには、強力な組織を背景に持つことができ、大きな活躍ができることが約束される。タイガーバームの胡文虎も、香港の不動産王の李嘉誠も、インドネシアのサリムグループの林紹良も、万国銀行グループの陳有漢も、台湾の海運王の張永発も、全部客家華僑財閥のひとたちである。そういう蒼蒼たる人たちの名前が列挙されると、「おぉ、客家ってやっぱりすごいな」と感心してしまう。

客家の住居というと、広東省にある円楼の建物が代表的だろうと思う。こういう家が出来たのは、外部は全部敵という場所で生活しなければならないための工夫が生んだ住居スタイルである。言い換えると、その住居に住んでいる人たちは全員客家で仲間である。その仲間を統率することこそ、強い団結力を生む環境を作りだすことになる。したがって、客家の人たちは生まれたときから強烈なリーダーシップを発揮するひとが多い環境にさらされるし、また訓練されるようなので、飛び切り強い指導者を輩出ことがよくあった。だから、孫文も出てきたし、洪秀全も出てきたのだろう。

乏しい畑にしか住むことが出来なかった客家は、次男以下の人間が食べていくには、教育しかないと最初から考えており、そのために中国の中でも早い段階から字を学ぶ環境をつくっていた民族であるようだ。だから科挙試験にも大量の人が採用されているし、商店の番頭をやったり、軍隊の書記の役割を担当することが客家のひとは大昔から多かった。教育熱心な環境は現代でも続いており、李登輝は京大に行っているし、リー・クワン・ユーはケンブリッジ大学を首席で卒業しているし、鄧小平もフランスに留学している。

友達の中に客家のひとが何人かいる。その人たちの活躍を見ていると、本当にすごいと思うし、真面目だし、賢いし、礼儀は正しいし、決して韓国人みたいに怒るということはないし、広い心を持った人たちだと、本当に尊敬したくなる。どうしてこういう人たちが同じ漢民族なのに存在するのだろうというのが、最初に客家の人たちに対する興味を持った理由のひとつである。知り合いの客家のひとたちは全員台湾出身なのだが、活動拠点は台湾だとしても、台湾から飛び出して各国に出ることが良くあり、そこでそれなりに名を馳せ始めている。その道程を良く観ているので、毎度毎度活躍の様子が耳に入ってくる度に、すごいなーと本当に思う。このバイタリティはいったい何なんだろう?

本書は、そんな客家のひとたちが小さいころから家庭で教育されている格言のようなものをまとめたものである。書かれている内容は客家のことだが、実はこれは民族や地域を越えて、どこでも通用するものだというものが本当に分かるものだ。こういう一子相伝、その民族にいないと分からないようなものが書として他民族に知られるというのは本当にありがたい。

人間関係、仕事に対する考え方、家族・健康に対する教え、金銭に対する考え、人生についての教えという5本柱で紹介している。これはとにかく必読。生き残るための術が全部詰まっているといっていいと思う。常に迫害と邪魔者扱いされていた客家の人たちは、仲間を大切にし、目利きをしっかりもち、金銭感覚について絶妙なバランスをもち、健康を保つためにやるべきことを守っていけば、人生はうまくいき、長い人生に対しての人生観をどのように持つかを常に持っていれば素晴らしい世界が開けてくるというものだ。ちょっと宗教掛かってしまうような言葉がいっぱい出てくるかが、神様を信じろというようなことは全くここでは出てこない。客家の人たちは人間が好きなのである。生身の人間が好きなのだ。

そんなたくさんの教えのなかで、あーっ、なるほどーというのがいくつかあったので、それだけは紹介しておこう。

まずは「交わるは易く、選ぶはさらに難し」。常に周りが敵だった客家のひとは、最初から客家人以外の人を信用しないことにしている。だが、「商いをよくする者は必ずや愛嬌を要す」という教えから、常に笑顔で他人と接し、相手を気持ちよくさせてくれる。しかし、腹の底では単なる知り合いとしてしか付き合わない。しかし、一旦、客家の人に友達として認知されると、彼らは絶大な信頼を与えてくれ、客家の口頭での約束は契約書を結んだのと同じ効果が出てくる。だから、めったやたらに信用するようなことはしないくらい堅実なのである。だから、友達と認められたときには、こちらも相手が望むものがあったときにはそれに応えたくなるし、相手も常にこちらのことを気遣ってくれて、多大なる助けをしてくれるところも有る経験があるから、とてもよくわかることだ。

「話は広げるなかれ、傘はすべて開くなかれ」だ。余計なことはべらべらしゃべるなということである。客家人にとっては価値観を共有にしている一族であればいいが、周りが常に敵みたいな環境にいたこともあり、ちょっとしたミスでもそれが命取りになることもある。ましてや、発言に関してもちょっとした悪口をいったことが廻りまわって本人を滅ぼすことになりかねない場合もあるので、彼らは言動にとても注意する。

「ひとは名の出るを恐れ、豚は太るるを恐れよ」という言葉は、結構華僑の世界を知ると良く分かる言葉だ。シンガポールやマレーシアの華僑を見ていればよくわかる。金持ちの華僑に限って、すごい汚い服装をして、どこの浮浪者だというような格好を平気でしているのを見つけるときが有るのだ。これは名の上げたものであれば、知らない間に見知らぬ相手から妬みやそねみを買い、誹謗中傷されるのはあたりまえだし、誘拐される場合もありうる。さらに金持ちだとすると人目に引くような格好をしていると、しっぺ返しを食らう可能性があるから地味に暮らせということを意味する。そして、素性が分からないようにし、あくまでも群衆の中に埋没しろということを意味する。目立ちたがりの漢族の人も多いのだが、客家の人は全く違うのである。

他にもたくさんの格言があるが、全部紹介していると書ききれないので、このあたりにしておく。戦乱の世の中ではないのだが、商売の世界では常に荒波の中を渡っていかねばならない世の中ではある。ましてや日本経済がめちゃくちゃになっているときなのであるから、どのような生き方をしなければいけないのかというのは模索する必要があるだろう。これはどんな年齢になっても必要なことだろうと思う。人生の参考書のひとつとしてこの本を読んでみるというのはいかがだろうか?かなり参考になることが多いのではないだろうか?特に迷走しているような人生観を持っている人にとっては読むべきだし、成功者にとっても、経験上は知っていることだろうとは思うのだが、参考にまでに読むのも良いだろうと思う。

客家(ハッカ)の鉄則―人生の成功を約束する「仲」「業」「血」「財」「生」の奥義 (ゴマブックス)
著者: 高木 桂蔵
出版社: ごま書房
出版日:1995年4月30日
ページ数:186ページ

2011/04/10

放射能問題と自粛ムード

福島第一原発が、東日本太平洋大震災によって生じた大津波により、破壊的なダメージにぶち当たり、結果的にチェルノブイリに匹敵するような事故になりつつある。政府と東京電力は、実際の原発の事故を針小棒大に発表することに積極的に行うようにし、事実とは異なることをアピールして、嘘でも「安全です」「心配しないでいいです」と言い続けている。そんなもの、毎日報道されているテレビ映像のなかで、水素爆発なのか本当の爆発なのかぜんぜんわからないが、原発の建物がミサイル攻撃を起こしたような爆発している映像を見せられたり、空からの映像として爆発した原発の建物の、悲惨的な壊れ方を見せられれば、そんなもので「安全」なんてどこの口がそんな馬鹿なことを言っているのだ?と文句を言いたくなるのも当然だろうし、ますます政府と東京電力対して信頼性を確保するのが難しくなる。政府や東京電力が、実際の被害の大きさよりも小さく報道する理由は簡単で、要は事故処理後の補償・賠償金をできるだけ少なくさせたいということからなのである。最初から事故を小さく見せることにより、後ほど発表する事故処理後の補償金を「いやいや、あの事故はこの程度の事故だったから、これだけの補償金を出せばいいのだ」という裏を自ら作るために必死になって宣伝している。テレビ局と大手新聞社の場合は、東京電力から毎年数百億円という宣伝費をもらっているので、広告主としては巨大なお得意様である。そのお得意様の悪い風潮を自ら宣伝させることは、今後の宣伝費用をもらえなくなってしまうという目先のことだけを考えてなかなかまともな報道をしようとしない。しかし、国民は知っている。本当の事故の酷さと、収まらない事故処理について。

ネット上で、実際の原発現場に行っている人や、海外のメディアが報道している情報というのは必然的に入ってくるし、それを通して、いかに国民がバカでも本当のことを知ってしまう。実際には放射能漏れはありませんと、バカみたいに会見で発表していても、ちょっと東京電力と政府の息が掛かっていない記者が「プルトリウムの測定はやったのか?」という質問に対して「全くしていない」と正直に暴露してしまっていることを観ると、実際の状況を東京電力や政府は口が裂けても絶対に言ってはいけないということを露呈しまった。

そこで国民はどう考えたかというと、「日本政府と東京電力の発表はすべて嘘である」ということと、政府と東京電力が発表していることは「第二次大本営発表である」という認識がとうとう植えつけられてしまった。こうなると、いかに政府や東京電力が発表しても、すべての発表は最初から「疑いの目」で見るしかなくなる。ただ、記者会見では自分たちには都合の悪い記者たちを排除した状態で会見を開こうと最近は躍起になっているようで、それがさらに国民の「知りたい内容」と懸け離れた内容になって発表されるから、ますます東京電力と政府が発表することに信憑性と信頼性を持たなくなる。

放射能漏れが無いという報道に対しても、最初は「無い」と言っていたのに、だんだん「数値は小さいが少しもれている」になり、今度は意味不明な造語を利用して「低濃度の放射能が漏れている」とまで言い始めた。低濃度?なんじゃ、それ?低濃度の放射能なんていうのは無い。だいたい、その放射能量についてもすべて嘘。日本国内に日本語で発表している内容と、海外の国際機関に提出している内容が全く異なり、さらにその内容についても過小申告していることが、さらに国際的に「バカ」扱いされることなった原因だ。特にアメリカ、フランス、ドイツの報道機関と国際機関からの「バカ扱い」は見ていて笑える。ここまでバカ扱いされてまでも隠し通したい日本政府と東京電力の思惑はいったいなんなのか?補償金と被害賠償金のほかに何があるのか?と言いたくなる。しかし、そういう質問に対しては、東京電力も政府もどちらも口を開かないし、殺されても言ってはいけない事項になっているようで、どうやっても口を開かない。

そうなると、放射能に関しては自分で測定したくなるのが人情だ。高校の化学の授業で言葉だけしか聞いたことが無い「ガイガーカウンター」がここまでメジャーになって、一般人の口から出てくるとは思わないくらい一般化してしまった。独自にガイガーカウンターを購入して、それをUstreamを通して1日中ネットに送信しているひとたちが、日本全国に出てきたことは嬉しい。これを通して、現在空気中の放射能量というのがどのくらいなのかというのを少し垣間見ることができるようになる。そういう動きがなければ、政府と東京電力の嘘のデータを信用するしかなくなるからだ。

それで問題になったのが放射能が放出したあとの土壌と水質の問題。空気中に放出された放射能は、大気の流れによって大きく各地に分散される。どれだけの量が放出されているのかいまでも不明なのだが、もう測定不能なくらい大量に排出されているということだとすると、その大気に漂った放射能が、最終的にどうなるのかというのは、いろいろな文献を読んだとしても、ほとんどの場合が半減するのも消滅するのもすごい時間がかかるために、結局はどこかに残っているというのを一般人が知ってしまう。

今でもまだまだ続いている水や食料の買占め、そして、物流の停滞というのは、この放射能の問題により、より一層顕著になっているのではないだろうか。

もう1つ分からない世の中の動きがある。それは自粛ムードというもの。震災後は、何かのプロジェクトが一旦中止になり、見直しになったり延期になったりするのだが、それは短期的な目で見たときに、プロジェクトが遂行されるための土壌と環境が揃っているかというのが一番の重要ポイントである。したがって、土壌と環境の策定から始まることになるため、プロジェクトの中止や延期は分かる。しかし、一般人の生活に落としてみたらどなのか?なぜか震災で被災にあったかたたちの悲惨な生活が連日テレビで放映されることが影響しているのか、震災の人たちが可愛そうなので、自分たちが派手に遊んだり食べたりするのはやめることにしようという動きがある。これは意味が分からない。そんなことをして何の意味があるのだろうか?たとえば、外食をしないという自粛が被災者にどういい影響を与えるのだろうか?外食しないことにより使わなかったお金を、被災者のために募金をするというのであれば意味が分かる。実際にはそうじゃない人たちが多いはずだ。そんな自粛が何かに二次的に生産的な影響として出てくるのであればいいが、そうならない自粛は何の意味もなく、単なる日本の経済活動を止めてしまうだけの結果しか生まなくなる。外出についても同じで、外出を控えるということが何の意味になるのだろうか?たとえば、大気が放射能汚染が酷いために、外出すると病気になるとか死ぬというのであれば分かるが、そんなに大気中の放射能が死ぬほど高いわけじゃない。30年くらいの長い目で見たときにはどうなのかわからないが、即死するほどではない。だったら、普通に外出したらいいではないかと思う。

花見の季節になろうとして花見も自粛しようという動きがある。これも意味が分からない。暗いニュースがあったのであれば、パーっと楽しむことはしたらいいのではないだろうか?外食産業を擁護するわけじゃないが、外食や外で飲み食いすることを自粛しても、全く被災者にはいいことがない。経済が低迷するだけ。外食産業が倒産しても別に気にしないのだが、街が殺風景になっていくことは耐え難い。経済的に反映していくことが、人間社会として着実に成長していることではないのだろうか?

電気力不足により、夜間営業を短くするという自粛は仕方ないことだろう。これは環境が揃っていないからなのだ。しかし、環境があるのに、それを利用しないというのはばかげている。東京は特に被害があったわけじゃないのだから、どんどん震災前と同じように外出し、外で遊べばいいと思う。が、パチンコのような無駄なものは無くしてもいい。できれば、自粛というのは辞めてほしいと思う。

というか、政府がだらしないから、みんなが自粛するような動きになるのだ。政府が嘘は言わなくても、自粛しなくても良いような環境つくりをしないところが仕事放棄していると言われても仕方ない所以である。

ナチスと映画

中公新書から出版されている「ナチスと映画」という本が目に入ったので思わず買ってしまった。

題名から考えると、どうせ、ナチス時代に天才的宣伝部長だったゲッペルスと、ナチスのプロパガンダ映画をたくさん製作したことで、ナチスの回し者とレッテルを後に張られることになったレニ・リーフェンシュタールのことが書かれているだけの書物だろうと思っていたのだが、いやいや、中身はなかなか幅広いものになっていて、大きな意味でのドイツ映画とはどういうものだったのか、宣伝とはどういうことなのか、ナチスを題材にするという意義は何なのかというのを多角面で評価しているので、映画好きな人には歴史参考書として保有しておくと良いと思われるが、ハリウッド映画しか見ない人にとっては、全く興味がわかない書物でもある。

この書物が面白いのは、ナチス前の映画、ナチス統治時代の映画、戦後のナチスを題材とした映画という3世代に渡って作成された映画が年表のように全作品が載っているところだろう。これは映画史を勉強したりドイツの映画の変遷を知るためにはいい資料になるところだ。文章中にも、各映画を紹介し、その映画の作成された時代背景や作成されるために裏で動かれた史実を紹介されているため、映画個々では全く関係ないようなものでも、すべてが1つの線で繋がっているように見えてしまうから、これを分析した著者はすごい。

ドイツ映画というと個人的印象では暗くて社会的で、それでいて、観たあとにスカッとするようなものではなく、後味が悪く考えさせられるような映画が多いなという感じを持っていた。でも、どうやらこれは結構当たっているようで、もともとドイツの映画は流れとして社会派のようなものを常に追い求めてきたようであるし、ドイツ人の気質にそれがあっていたからこそ、映画に熱狂的になったのだろう。もちろん、いまみたいに娯楽が豊富な世の中ではなかったので、映画に娯楽性を見出そうと国民が思っていたからというのも原因だったかもしれない。

ナチスはまずその「ドイツ映画」言葉の定義から制定した。ドイツの国内の会社によって製作されたもので、セットもロケーションもドイツ国内で行われている映画、シナリオ、音楽、マネージャー、監督といったすべてのスタッフがすべてドイツ人である映画だと手意義付けている。そこで今度は「ドイツ人」とはなにか?という定義になる。ドイツ人とは、ドイツ民族で、ドイツに国籍を持つものと定められている。ドイツ系外国人の場合、1923年1月以降にドイツ国内に居住するものに限り、ドイツ人と認めた。これで、ユダヤ系の映画人が外国資本でドイツ国内で仕事をするということは不可能になる。これによって、多くの人がドイツから離れてしまう結果を生むことになった。マレーネ・デートリッヒもその中の一人である。加えて、帝国文化院法(Reichskulturkammergesetz)の公布により、映画だけでなく、新聞・音楽・ラジオ・造形美術・演劇などの文化活動全般が宣伝大臣ゲッペルスの監督下になるあたりから、一般的にナチスが映画を宣伝材料として使うようになってきたという認識が現代日本人にも知られるようになったのだろうと思われる。

いまの中国のようにすべての出版物に対しては検閲という通過を通らないと世に作品がでていかなくなったのも、この上記の法律によるものであり、内容が国家政治的に価値があるか、芸術的、民族教育的、文化的に価値があるかという点で検閲がかかり、それに相応しくないという作品となれば上映禁止になる。世界的には成功を収めたマルレーネ・ディートリヒ主演の「嘆きの天使」も検閲上は相応しくない映画に該当することになっている。その格付け評価を導入しているというのもなんとなく笑える。客受けにより興行が良かったかどうかではなく、あくまでも配給前に決まってしまうという点が不思議だ。

記録映画として今でも語られる1934年のニュルンベルク党大会の映画については、ヒトラーとして、同年死んでしまったヒンデンブルグ大統領から大統領職を引き継ぐという意味と、政敵になっていた突撃隊長エルンスト・レームの粛清により、権威を国民に知らしめるためという重要な役割があったために、大規模な舞台と演出により神聖化したヒトラーを見せることが目的に作られた。レームのような同性愛趣向者はドイツとしてマイナスイメージになる。しかし、実際には多くの同性愛者がいることは当時でも明らかになっていて、いまでもドイツは同性愛者がめちゃくちゃ多い国の1つになっている。そういう非生殖活動者を人間扱いしないこともナチスの方針の1つにしたいと考えていたこともある。

が、映画監督を担当したリーフェンシュタールは、ナチスが考えたほどナチス傾倒のひとではなく、自分はあくまでも映画人であり、自分が芸術的に考えた構成と撮影アングルと演出で作品を作り上げている。したがって、ナチスの党が考えた実際の進行と映画の中での進行というのが全く異なって作られているところが1つのポイントだろう。しかも、カメラワークというのがすばらしい。飛行機のコックピットからのショットから始まる演出やら、列を組んで行進する兵士足しの姿を飛行機から撮影するとか、ヒトラーが車から折観衆の前に現れたときに、ヒトラーの背後から沿道で手を振る民数の様子を写したり、基本的にはカメラワークはヒトラーの目線で撮影されているというのが面白いと評価している。もちろんその手法は今度は「民族の祭典」であるベルリンオリンピックの記録映画にも引き継がれ、これも今でも名作にあげられるものになっている。

記録映画を延長して、テレビがいまのように普及しているわけではなかった時代には、映像によって人々に時事的な情報を、戦時には戦地の様子を知らせる重要な情報源だったのがニュース映画であり、これも情報操作によって非常に有効なプロパガンダの手段だったし、ナチスもこのニュース映画を特に重要としており早くから採用していた。でも、これはナチスが考えたものではなく、既に第1次世界大戦の時代にドイツ皇帝ヴィルヘルム二世が戦地にいる舞台を訪問をする映像をニュース報道することで、国民の戦争への意欲を高めるプロパガンダに積極的に使ったという歴史がある。ナチスはこれを利用しただけのことだ。ナチ時代には宣伝中隊(Propaganda-Kompanie)と呼ばれる組織が作られ、そのひとたちがいろいろな場所に出向いて撮影をし、ドイツ国内にニュース映画として報道していた。

戦後の場合、ナチスは悪役として登場する。特に戦後すぐの1950年代から60年代の場合は、これが顕著になってくる。それは特にアメリカとソ連の二台巨頭が世界を動かすようになっていく過程で、それぞれの国が世界のリーダたるものになるための誇示をするために、ナチスは敵国の巣窟として描かれることになる。ハリウッド映画のほうが日本人としては親しみがあるが、これはソ連側でも同じ傾向であり、いかにソ連が強いか、そして暴れん坊をいかに抑えていったかを宣伝することに使われる。

80年代に入ると、ホロコーストを舞台とした映画がたくさん作られることになる。このあたりになると現代人にとっても、あぁ、あったあったというような映画のことがたくさん出てくる。わかりやすいので言うと、「戦場のピアニスト」とか「シンドラーのリスト」だろう。

時代の変遷と各時代に作られたドイツに関する映画およびナチスが映画のなかでどのような役割を演じてきたのかというのを、説明しているとてもいい書物だと思う。特に目線がすばらしい。ナチス内部からの目線で映画に対して接した姿勢と、外部の人間がナチスを映画の中でどのように扱うようにしたかというのをまとめているところが素晴らしい。映画好きの人も、ナチスの歴史に興味がある人も、また映像技術に興味がある人にとっても、価値ある資料的作品なのではないだろうか。是非一読するべき書物だと思う。

ナチスと映画―ヒトラーとナチスはどう描かれてきたか (中公新書)
著者:飯田 道子
出版社: 中央公論新社
発売日: 2008/11/25
新書: 254ページ

ハプスブルク帝国の情報メディア革命

今ではすっかりメールに変わってしまった手紙というのは、それまで離れた2点間の通信手段としては当然のこととして利用されているわけだし、その郵便制度というものは大昔から存在するものだとずっと思っていたのだが、大きな間違いだったということを知った。それを教えてくれたのが、「ハプスブルク帝国の情報メディア革命-近代郵便制度の誕生」である。

この本の中で、現在のような郵便制度がどのような経緯でできたのかということと、その背景になった社会背景がどのようなものだったかというのを歴史に則って説明し、その近代的な郵便制度はドイツが土壌で世界で始めて整備されてきたのだというのを説明している。大きく郵便に対する考え方が変わったのはドイツ地域が、神聖ローマ帝国として帝国と300以上の国家に分かれていた時代にまでさかのぼり、帝国の威信を普及させるために命じられたタクシス家がその伝達網を整備したということを説明している。

しかし、本の中の内容は、どうもしっくり頭に入ってこない。新書版の本なのでそんなに分厚いわけじゃないのだが、読みこなすためには背景となる予備知識がある程度必要になってくるために、その知識無しに読むと、ちっとも理解できないのである。日本人が歴史でならう「国家」というのがそのころには存在しないようなときに、どうやって情報伝達をし、どんな情報が必要となったのかということが必要であることと、その王が統治していた領土というのが、現代の言葉で言うと「飛び地」形式で保有していたので、その各王が統治していた分散化した領土をどのように統治していたのかというのがわからないと、郵便に対するニーズというのがいまいち理解できないのだと思う。

それでもこの書物は郵便事情と郵便形成の歴史を読み取るためには有益な書物だと思う。個人的にこの本を読むために必要なキーワードは、「印刷」「領土拡大」「駅伝」「識字率の向上」なのではないだろうか。

昔の手紙というのは、字が書ける人しかかけず、字が読める人しか読めなかったので、結局手紙や書簡のやり取りをしたひとというのは王侯貴族と僧侶しか出来なかった。なので、今では携帯で一般人が普通にメールを打っているという世界とは全く異なり、本当に一部の人たちだけしか文字のやり取りをしていなかったのである。そのやり取りとしては、政治的に決めた事項の地方への伝達や、王家同士の政治的駆け引きのための文書交換、そして、宗教的解釈や制度の普及のために使われていた。それを確実に広めるために目的地まで文書を運んだのが、飛脚みたいな人たちであり、出発地から目的地まで1人の特定のひとが運んでいたことになる。つまり送られる書簡というのがかなり秘密のものなので、書簡を送る側も送られる側も信頼している人間を介してのみ行われたというのが郵便の最初なのだそうだ。その書簡の運び屋を帝国内で買って出たのがタクシス家であり、タクシス家は皇帝から運用資金として独占的に受け取って商売していたとのこと。

しかし、送信元から送信先まで1人の飛脚が運び屋として運んだのであれば非効率であることに気づく。古代ペルシャでは、広範囲の政治が行われための伝達手法として駅伝方式を採用していたことをどうやらヨーロッパ人は思い出したようで、1人より複数の人たちでリレー方式にしたほうが時間的に短縮でき確実に到着するということに気づく。特に国家間が覇権争いをしている際には、短期間で確実に目的地に重要な連絡が伝わらないと戦略として立てにくくなるということから要望が強かったのだろう。もちろん、最短時間で到着するためには、2点間がほぼ直線で到達するのが一番だ。でも、道がある。中継をたくさん増やして中継間だけを運ぶ役割を演じれば時間は短く、そして集約して送ることができる。

しかし、同一国家内の郵便であればいいが、国家間の郵便の場合には郵便による収益というのをどうにかして得ようと生存争いになる。そこで提携というものが発生する。

手紙だけではなく郵便は人間を運ぶということと荷物を運ぶということも実は含まれていた。つまりいまの運送と運輸の役割が郵便には含まれていたことになる。この運送と運輸というのが莫大な利益を生む原動力になっていたために国家内の郵便を独占して行いたいという覇権争いがおき、それが国家間の場合には戦争にも発展する。それを相互接続料という通行税みたいなもので対応したところが大きい。

昔の郵便は送信側ではなく、受け取った側が払うことになっていたようだ。なぜなら、いろいろな国家を通って届けられたりするための通行税をその中に含めるからということなので、相当高い金額になる。それを払えるのはやっぱり貴族になるのだが、一般庶民でも郵便を使うようになると、送信と受信側で暗号的な文章を封書を読まないでも読み解けるようなことを埋め込ませて、郵便料金を払わないというやつらが出てくる。そこで生まれたのが切手であり前払いシステムなのである。これなら郵便会社も痛くない。なかなかうまいことを考えたものである。

一部の貴族だけが利用していたものであれば、たいした事が無いのだが、大人数が使うとそれなりに郵送料が手に入るので、郵便会社もがんばるものだ。

ただ、忘れてはいけないのは、本書とは関係ないのだが、1990年に死んだ郵便事業を皇帝から受けていた子孫であるヨハネス・フォン・トゥルン・ウント・タクシス侯の言葉であろう。彼はナチス時代にヨーロッパ最大のスパイ組織をつくりあげた。それは郵便事業による郵便網を使った人と組織と網羅性を総合的に支配していたところによる。民営化によって郵便事業を片っ端から買収することにより、郵便網に乗ってやりとりする情報を全部支配できると考えていた。これはネットの時代においても同じ。ビジネスの契約ではネット署名は全く有効ではない。いまだに郵便である。その間をちょっと操作してしまえば、契約疎通間の情報のやりとりを全部仕入れることが出来るというものである。これもだいたいの貴族的な考えの延長なのだろう。正式名はJohannes Baptista de Jesus Maria Louis Miguel Friedrich Bonifazius Lamoral Thurn und Taxis。長すぎ。しかもバイなのである。この禿げオヤジ。ハプスブルク帝国の情報メディア革命―近代郵便制度の誕生
著者:菊池 良生
出版社: 集英社
発売日: 2008/1/17
新書: 222ページ

世界最大のスパイ業者の遺言
http://alternativereport1.seesaa.net/article/123362070.html

クロアチア航空

クロアチアにももちろんのナショナルフラッグが存在する。その名もクロアチア航空 (Croatia Airlines)。なぜかクロアチア語の会社名ではなく英語名になっているところが面白い。ちなみにクロアチアのことをクロアチア語では Hrvatska (フルヴァツカ)という。なので、クロアチアのドメインは hr である。

国家としてまだ成立して20年も経過していないこともあるので、会社としてもそんなに古い歴史がある会社ではない。しかしながら、着実に会社としても拡大してきていることは確かだろうと思う。クロアチア国内と欧州の主要国家を結んでおり、ベースはザグレブとドブロブニクにある。クロアチア航空の強いところは、やはりバルカン半島への渡航便があることだろう。現在、クロアチア航空が飛んでいる箇所は下記の通り。

■国内路線

ボル、ドブロブニク、オイシェク、プーラ、リエカ、スプリット、ザダール、ザグレブ

■国際路線

オーストリア、ベルギー、ボスニア=ヘルツェコビナ、デンマーク、ドイツ、イスラエル、イタリア、コソボ、マケドニア、モンテネグロ、オランダ、スペイン、スウェーデン、スイス、イギリス

国内の旅行代理店からクロアチア航空の手配というのはできないようだ。なので、直接クロアチア航空のサイトにアクセスして、手配することになる。クロアチア航空はナショナルフラッグだからといっても、結構格安の航空会社であるように思われ、ウェブサイトもちゃんと用意されている。クロアチア航空のサイトでは、クロアチア語、ドイツ語、英語、スペイン語、フランス語、イタリア語、オランダ語、ロシア語で作られているので、理解可能な言語でアクセスするとよい。
クロアチア航空はエコノミークラスとビジネスクラスの2クラス制になっており、エコノミーは予約条件にしたがって3種類に分けられる。一番安いのは FlyPromo というものでキャンセルはできない条件のものである。キャンセル料を支払えばキャンセルが可能なのは、FlyOpti と FlyFlexi というものだ。しかし、この2種類のクラスの区別が良くわからない。ザグレブ~ドブロブニク間の片道料金で言うと、160クロアチナクーナ(HRK)の違いがあるから、何かしらの違いがあるのだろうが、自分としては見つけられなかった。あと、エコノミークラスの荷物の条件は1人15kgまで。ビジネスだと20kgまでの荷物は預けられる。それ以上になると、1kgあたり8HRKと付加価値税の超過料金が必要になる。ただし、これは国内便の場合。国際便の場合は1kgあたり10ユーロと付加価値税の超過料金が必要になる。どこまで厳しいものかは、実際に搭乗してみてからまた書きたいと思う。

なお、クロアチア航空は現在スターアライアンスに属しているので、スターアライアンスのメンバであればマイル加算が可能である。最初はリジョナルメンバーとして参加予備軍として参加していたのだが、最近になって正式に加盟することになったようである。独自のマイレージプログラムを持っているわけではなく、ルフトハンザ航空の Miles&More に属しているので、この会員であれば恩恵が結構高い。たとえば、預けられる荷物は、プラス20kgの合計40kgまで預けられるなど。

クロアチア航空
http://www.croatiaairlines.com/

クロアチア(旅名人ブックス)

ゴールデンウィークにアドリア海の真珠と言われるクロアチアに行こうと思っているので、事前にいろいろ情報を収集しようと思い、ネットや書物を片っ端からあさってみた。1998年のサッカーのフランスワールドカップの際に、日本が対戦した相手国として、日本人にはようやく「そんな国があるんだ」と思われていたところで、そのころから、ようやく日本にクロアチアに関する書物がちらほらと出てきたと思われる。それでも、クロアチアは、旧ユーゴスラビア連邦の1つの構成国家だというあのあたりのごちゃごちゃした人まとまりの1つだという認識からは長らく日本人から脱せなかったのではないだろうか?

クロアチアの魅力を紹介するような旅行記や書物もガイドを含めて本当に少ない。ありがちなフランス・イタリアに比べると圧倒的に少ない。別の機会に記載したと思うが、よくもまぁこんなくだらない内容で1冊の本として成立するなーというクロアチアの旅行記もどきの書物もあったりするが、こういうのは全く役に立たない。所詮、どうしようもない女性が身勝手な感性で現地を旅行して感じたことを、メルヘンチックに記載しただけの旅行記だから。

地球の歩き方を除いて、まともなガイドブックが無いなか、旅名人ブックスの「クロアチア」はとても有益な情報が掲載されている本であるといえる。クロアチアの歴史と文化、そして見所を文章とカラー写真で紹介されており、通常のガイドブックであれば、薄っぺらい内容になってしまうところを、読んでいるだけで現地に行ってしまっているような錯覚に陥るような豊富な写真が魅力的である。

掲載されているのはクロアチアのほぼ全域であるが、メインとしてはドブロブニク周辺とダルマチアと呼ばれるアドリア海沿岸と首都ザグレブである。おまけの情報として、ドブロブニクからいける場所である、モンテネグロやボスニアの一部と、クロアチアの兄弟みたいなものであるスロベニアのリュブリャナが少し掲載されている。が、このおまけの情報はあくまでもおまけであり、メインではない。

クロアチアは国家の形がへんな形をしている。ほとんどの魅力的な場所は海沿いの地域ばかりで、首都があるザグレブのようなところは、とってつけたようなくらいの場所に思われても仕方ない。だから、旅名人ブックスの内容にしても、もちろんドブロブニクを中心とした海岸地域を中心として紹介されているし、そのほうが訪れるところはたくさんある。

ドブロブニクとザグレブにはたくさんのページを割いて紹介されているので、地球の歩き方と併用して見所の確認をするべきだと思う。ただ、その巻においても旅名人ブックスは、レストランとホテルの紹介をしているわけではない。ガイドブックではあるがありがちな内容の薄いガイドブックにならないように務めているからだろう。だから、ご飯のことや泊まる場所のことを考えるのであれば、地球の歩き方や誰かの旅行記を参考にすればいいだろう。そのほかの都市として、ローマ帝国の遺産であるスプリットについても当然たくさんのページが描かれているので、とても参考になる。だいたいのガイドはそれで終わりなのだが、旅名人ブックスでは、ダルマチアの海岸沿いの小さな都市をたくさん紹介されているので、長期間の滞在を希望としているひとにとっては、どういう町なのかというのを事前に知るためには有益な本だと思う。それとイストラ半島の各都市を紹介されているところも有益だ。ドブロブニクは遠いがザグレブを中心に廻ろうかなとおもうようなひとにとっては、イストラ半島のほうに出向いて観光をするのもいいからだ。といっても、ザグレブからイストラ半島に行くには、電車かバスで長時間乗らないといけないので、不便な場所であるのは変わりない。ただ、情報があるのと無いのとでは、足の運び方が違うだろう。

ただ、この「クロアチア」編だが、あまりにも分厚く、カラー写真が多いために本としては重たいので、電車で立ちながら読むというにはちょっと辛い本である。

クロアチア/スロヴェニア/ボスニア・ヘルツェゴヴィナ―アドリア海の海洋都市と東西文化の十字路
出版社:日経BP企画(旅名人ブックス)
発売日: 2006/06
単行本: 394ページ