2013/09/01

猫の町・候硐へ


台湾なんでもやってみようの旅の2日目は、前からチェックはしていたのに、いまだに言ったことが無かったところで、猫がめちゃくちゃたくさん住んでいるということで有名になってしまった候硐というところに行こうと思った。1人で行っても良かったのだが、事前に連絡が取れた台湾の友達が「一緒に行こうか?」と言ってくれたので台北駅で待ち合わせていくことにした。ご本人は台北よりちょっと南の中壢に住んでいるので、一度台北で降りるというのは、実は面倒くさいことなのかもしれないが、日本からやってきた人間のために対応してくれたのでとても感謝。

しかし、いつも思うのだが、台北駅で待ち合わせというのは本当に困る。だいたい地上から地下まですごい広いので、どこで待ち合わせをしたら良いのかというのは大変困る。例えば、「地下鉄に繋がるところの台鉄の改札口傍ね」と集合場所を決めた場合、その改札口が実は何個も存在しているのである。この時も、互いに集合場所だと思っていたところが全く違った場所だったので、最終的には地上の出口番号を指定して待ち合わせすることにした。このことで、乗ろうと思っていた電車にあやうく乗り過ごすことになりそうだった。

候硐は各駅しか止まらない駅であり、各駅電車でいくと結構な時間がかかる。慌てて飛び乗った電車は、平日昼間だったのにも関わらず夏休みシーズンだからかたくさんの乗客が乗っていて、朝の満員電車並みにぎゅーぎゅーだった。たぶんこの各駅電車で、候硐よりも手前にある駅で乗り換えて九份にでも行くんだろうという人たちがたくさんいたのだ。しかし、この電車、たくさんの乗客を乗せてはいるのだが、この中で乗客の子供がゲロを吐いたので、変なにおいが車内を充満する。本当なら窓を開けたいところだが、台湾の電車は窓を開けるより、ガンガンに冷房を効かせているので、冷房のほうが重視になっている台湾では、窓をあけて熱さが入ってくるんだったら、気持ち悪い臭いがまだ充満していたほうがいいと思っている人が結構居るので、きっとたくさんの台湾人にめちゃくちゃ怒られるところだったろう。候硐までの電車のなかはずっと立ちっぱなしだったので、実は結構疲れた。

猫の町というのを聞いたときに、想像としては、そこそこ大きな町のなかに猫が裏道みたいなところで集まって寝ているというようなものだったのだが、全然実際には違った。ここがそんなに有名になってしまった理由がわからないくらい、すごーく小さい炭鉱跡の町で、町というよりも村といったほうがいいくらい小さい場所だった。しかし、話題になるくらいの数の猫はめちゃくちゃたくさん居ることを発見した。以下その感想を記載する。

駅を降りると駅のコンコースから宣伝になる猫ばっかりの看板の洗礼を受ける。そして驚いたことに、台湾全土のみならず、いまでは日本にもその知名度も高くなってきた候硐は、その観光客目当てに変な店がたくさんあるのかと思っていたら、そういう店はほとんど存在しないことがわかったので、そこまで観光地化していないことは嬉しい。変なお土産屋や食べもの屋が増えると、金を町に落としてくれる機会は増えるとは思うのだが、わけのわかんない観光客が増えることによって猫の生活の場が脅かされるということになるために、猫にとっては住みにくい場所になるからという配慮から、いま存在する店よりは多くは作らないという仮条例みたいなのを設けているようにも見受けられる。

そして、なんといっても猫の多さもさることながら、猫の写真を撮るためにここにやってきたひとたちが凄い多いこと。それで、100人中98人はデジカメを持って猫写真を撮っているのも面白い。ほとんど街全体が動物園であり、どこに猫がいるのかは猫次第なので、猫を見つけるところから観光客は始めなければならないのだが、あんまり真剣に探さなくても、歩くところにほとんど猫は存在する。暑い台湾だからか、猫だからかわからないが、猫は自分たちが一番過ごしやすい場所をよく知っているようで、風通しのいい場所には必ずといっていいほど猫がいる。だから、たまになんでそんな変なところにいるわけ?というような場所で猫が寝ていたりするのだが、たぶん彼らにとってはそこが居心地がいいんだろう。

だいたい候硐という町は、もともと炭鉱の町として発達していたのだが、炭鉱も山間部に存在していて、そこで取れる石炭を都市部に運ぶために候硐に線路を敷いたことが最初の鉄道と町の発展の基礎になっているようである。だから、この候硐は小さい駅で乗降者数も多いわけじゃないのに、昔からの引継ぎで、炭鉱へ引き込むための引込み線がたくさん存在する。今では全然使われていることは無いので、一部は引込み線をモニュメントとして使って炭鉱の歴史として紹介しているのも面白い。それだけここは炭鉱最盛期の時には人と物資がたくさんきたのだろうとおもう。じゃ、いまはどうなっているかというと、単なる山間部の高台に民家が数軒あるだけというものであり、駅のすぐ傍にトンネルがあり、候硐の町自体がトンネルとトンネルの間に存在するような形になっているから陸の孤島のようになっているものである。
しかし、猫が多いところというと、だいたいの場合は猫が大好きな魚を目当てにしているために集まってくるというのが一般的だ。港の傍には必ずといっていいほど猫が存在するし、それも1頭や2頭というわけじゃなくて、数十頭単位でいたりするものだ。一番わかりやすいのは、宮城県のところにあった猫の島・田代島のようなところだろう。田代島は全部が港みたいなものなので、猫にとってはいつでもエサにありつけることができるというものだ。じゃぁ、候硐に猫がたくさん集まった理由は一体なんなんだろう?ここに猫の好きな魚がたくさん獲れる場所が在るかというと、そんなものはない。いちおう基隆河が街中を流れているのだが、とてもここで漁を行っているという様子は街には感じられない。じゃぁ、捨て猫の溜まり場になっているのかというと、これも本当のところはどうなのだろうか?

猫を探し、猫の写真を撮るためにあちこちを歩いていると、実は山歩きを自然に行っているのと同じだ。だから猫を捜し求めているときには全然気にしていなかったのだが、あるとき、猫探しにひと段落がつくと、一気に足腰に堪えたものが出てきたようで、どっと疲れた。ちょうど休憩のつもりでマンゴーカキ氷をお店で食べたときに、美味かったのだが、やっぱり一度休憩をしてしまうと、もう老体ムチ打たないと動けないぞーとは正直思った。
上述した基隆河の河原にも下りることが実は出来る。しかし、よく大雨が降る台湾では、川の洪水は町を飲み込んでしまうのと同じなので、結構高い堤防が作られており、そのうえに町は存在するようなつくりになっているため、河原に下りるためには、階段をかなり下りないといけない。河原といっても、日本の河川敷のようなものがあるわけじゃなく、大きな石が転がっているだけだ。夏の暑い時には、こういう河原のほうにきて、冷たい川の水に触れるのもいいだろう。ただし、このあたりの川は水深が深く、見た目にはゆったりとした流れのように見られるのだが、実は流れは結構速い。だから、ここで川遊びなんかをしていると、流れで体をもっていかれることになるので、絶対に水遊びは禁止だ。
 
街中を歩くと、猫に関する看板を結構みるのだが、「餌付けしないでください」と言う類の看板が目立つ。それはやはり観光客がやってきて、猫にエサを与えちゃうということをしようとする人がたくさんいるからなのだろう。猫もデブになって健康に悪いし、住民のひとにとっても、自分があげていないわけのわからない餌が家の周りでばら撒かれているのは汚らしいだけだとおもうのでいやなのだろう。それはそうと、住民のひとにとっては、毎日毎日多方面から猫を見るためにやってくるたくさんの観光客が自分の家の傍で猫と戯れている姿に対面せざるを得ないのだが、嫌がらないのだろうか?台湾人のおおらかさの表れなのか、うちの中を丸見えにしても別に恥ずかしがったりしないし、観光客が庭先に入ってきたりしても別に平気な顔をしている。気性の激しい韓国人や大陸の人だったら、きっとこうものんびりとした町が形成されないのだろうと思う。
 
帰りの台北までの電車は、1本で直行でいけず、途中の駅で自強号に乗り換えて行くことにした。途中駅の七猪駅で40分も待ったのはさすがに疲れた。  

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